『欲望』を観たよ。
「AVもどき」か「芸術」か? ……私は前者だと思っちゃったんだけど。
『欲望』
2005年・日本・133分
監督:篠原哲雄
製作・企画:鈴木光
原作:小池真理子
脚本:大森寿美男 川崎いづみ
撮影:上野影吾
音楽:池頼広
出演:板谷由夏 村上淳 高岡早紀 津川雅彦 他
不倫のセックスを貪る図書館司書の類子(板谷由夏)は、ある日、中学校時代の同級生である阿佐緒(高岡早紀)と正巳(村上淳)に、立て続けに再会した。中学生であった当時、正巳は阿佐緒が好きで、また、類子は正巳に恋心をいだいていたのだった。趣味が読書という共通点もあってか、再会したあとも、類子と正巳は良好な友人関係を続けていく。実は、正巳には秘密があった。中学生の頃に交通事故に遭ったため、性的不能者として一生を送らなくてはならない体になっていたのだ。
性的不能である男を愛した女と、性的不能で愛する人を抱くことのできない男の、それぞれの「究極の選択」を描いた物語、……なのだろうとは思う。なんかねぇ、食傷しちゃうほど頻繁でねちっこいHシーンのせいで、ついつい本筋を忘れかけちゃうんだけど、物語のテーマは決して薄っぺらじゃないのだ。ただ、すべてにおいて、描きかたの詰めが甘くて中途半端のような印象を受けた。「深い部分は、観るものの想像と判断にお任せ」っていう手法なのかもしれないけれど。
類子の描写はかろうじて緻密に近いから、彼女がなぜ不倫に溺れたかも、なぜ正巳に絆されるかも、それなりに伝わってきた。ただ、彼女の不倫の清算のしかたは、呆気なさすぎるというか、「世の中、そうそう巧くいくもんじゃないだろうよ?」と皮肉のひとつやふたつを言いたくなっちゃうような感じではあった。それと、もうひとつ。女を抱けない体の正巳を、類子はあまりにも簡単に「理解している」と錯覚してしまったのではあるまいか。類子を見ていて、「あんたは感じたり達したりできる普通の体なんだから、そりゃあ平気だろうよ」と、苦笑混じりにずいぶん思ってしまった。だって、類子が正巳と築こうとしていた関係は、「性的には一方通行でわがままなもの」でしかなく、性欲の行き場が全くないという正巳の問題に対する根本的解決には全然なっていなかったし、共に解決(あるいは、緩和)させたいとする努力すら、類子からはどうも感じられなかったから。彼女の正巳への想いは、身勝手で空まわりしていたように、私には見えた。中学校時代と変わらないくらい幼稚なままだった、というか。
性的不能である正巳の心理描写は、完全に足りない。「類子の視点で語られていく物語」だから、敢えて正巳を克明に表出していないのだろう、とはわかるのだが、それでも足りない。彼の最終的な判断なんて、本当、意味不明。彼の行動が意味不明というわけではなく、彼が本当に類子を愛していたのなら、最愛の女の前でああいった行動を取るのは、思いやりの欠如以外のなにものでもないし、また、類子を愛していなかったのなら、わざわざあの場とあのときに、ああいった行動を取らざるをえなかった説明がつかないし、「なにが彼をああさせたのだ?」と目が点になっちゃったのだ。類子に対してだけではなく、すべての女に対して自分がセックスを全うできないという絶望感から、正巳があの行動を取った、ということなら説明はつかないでもないが、それにしても、突飛で安直すぎやしないか。正巳の思考の変転を、もう少し具体的に説明してくれてもよかったのではないか。抽象的な表現ばかりでごめんなさい。ネタバレを避けたらこんなふうになってしまった。とはいえ、わざわざネタバレしてまで追記で語りたいほどでもないのだ。
全体的に、台詞がとても仰々しい。ただ、それは、「三島由紀夫を始めとした日本文学に傾倒している類子と正巳」が口にする台詞だから、文学的表現を故意に多用した結果であると思われる。なので、個人的に嫌悪感は覚えなかった。……Hシーンがもっと少なくて、メイン登場人物三人の心理描写がもっと平等に深かったとしたら、「切なくて濃密なおとなの恋愛映画」になっただろうな、って勝手な感覚では思う。つまらなかったわけでは、全然ないから。惜しかったなぁ。
試写日:2005年11月9日@スペースFS汐留
『欲望』
2005年・日本・133分
監督:篠原哲雄
製作・企画:鈴木光
原作:小池真理子
脚本:大森寿美男 川崎いづみ
撮影:上野影吾
音楽:池頼広
出演:板谷由夏 村上淳 高岡早紀 津川雅彦 他
不倫のセックスを貪る図書館司書の類子(板谷由夏)は、ある日、中学校時代の同級生である阿佐緒(高岡早紀)と正巳(村上淳)に、立て続けに再会した。中学生であった当時、正巳は阿佐緒が好きで、また、類子は正巳に恋心をいだいていたのだった。趣味が読書という共通点もあってか、再会したあとも、類子と正巳は良好な友人関係を続けていく。実は、正巳には秘密があった。中学生の頃に交通事故に遭ったため、性的不能者として一生を送らなくてはならない体になっていたのだ。
性的不能である男を愛した女と、性的不能で愛する人を抱くことのできない男の、それぞれの「究極の選択」を描いた物語、……なのだろうとは思う。なんかねぇ、食傷しちゃうほど頻繁でねちっこいHシーンのせいで、ついつい本筋を忘れかけちゃうんだけど、物語のテーマは決して薄っぺらじゃないのだ。ただ、すべてにおいて、描きかたの詰めが甘くて中途半端のような印象を受けた。「深い部分は、観るものの想像と判断にお任せ」っていう手法なのかもしれないけれど。
類子の描写はかろうじて緻密に近いから、彼女がなぜ不倫に溺れたかも、なぜ正巳に絆されるかも、それなりに伝わってきた。ただ、彼女の不倫の清算のしかたは、呆気なさすぎるというか、「世の中、そうそう巧くいくもんじゃないだろうよ?」と皮肉のひとつやふたつを言いたくなっちゃうような感じではあった。それと、もうひとつ。女を抱けない体の正巳を、類子はあまりにも簡単に「理解している」と錯覚してしまったのではあるまいか。類子を見ていて、「あんたは感じたり達したりできる普通の体なんだから、そりゃあ平気だろうよ」と、苦笑混じりにずいぶん思ってしまった。だって、類子が正巳と築こうとしていた関係は、「性的には一方通行でわがままなもの」でしかなく、性欲の行き場が全くないという正巳の問題に対する根本的解決には全然なっていなかったし、共に解決(あるいは、緩和)させたいとする努力すら、類子からはどうも感じられなかったから。彼女の正巳への想いは、身勝手で空まわりしていたように、私には見えた。中学校時代と変わらないくらい幼稚なままだった、というか。
性的不能である正巳の心理描写は、完全に足りない。「類子の視点で語られていく物語」だから、敢えて正巳を克明に表出していないのだろう、とはわかるのだが、それでも足りない。彼の最終的な判断なんて、本当、意味不明。彼の行動が意味不明というわけではなく、彼が本当に類子を愛していたのなら、最愛の女の前でああいった行動を取るのは、思いやりの欠如以外のなにものでもないし、また、類子を愛していなかったのなら、わざわざあの場とあのときに、ああいった行動を取らざるをえなかった説明がつかないし、「なにが彼をああさせたのだ?」と目が点になっちゃったのだ。類子に対してだけではなく、すべての女に対して自分がセックスを全うできないという絶望感から、正巳があの行動を取った、ということなら説明はつかないでもないが、それにしても、突飛で安直すぎやしないか。正巳の思考の変転を、もう少し具体的に説明してくれてもよかったのではないか。抽象的な表現ばかりでごめんなさい。ネタバレを避けたらこんなふうになってしまった。とはいえ、わざわざネタバレしてまで追記で語りたいほどでもないのだ。
全体的に、台詞がとても仰々しい。ただ、それは、「三島由紀夫を始めとした日本文学に傾倒している類子と正巳」が口にする台詞だから、文学的表現を故意に多用した結果であると思われる。なので、個人的に嫌悪感は覚えなかった。……Hシーンがもっと少なくて、メイン登場人物三人の心理描写がもっと平等に深かったとしたら、「切なくて濃密なおとなの恋愛映画」になっただろうな、って勝手な感覚では思う。つまらなかったわけでは、全然ないから。惜しかったなぁ。
試写日:2005年11月9日@スペースFS汐留



