ごはんの支度をしながら、気の合う映画を想うのが好き。字書き屋・香ん乃がお贈りする、インフォメーション・シネマ感想文・雑記など。
2006/10/04 02:02 『トリスタンとイゾルデ』を観たよ。
あれ? 薬は? あの有名な媚薬は使わないの?
『トリスタンとイゾルデ』
原題:"TRISTAN&ISOLDE"
参考:トリスタンとイゾルデ@映画生活 トリスタンとイゾルデ-シネマトゥデイ
2006年・アメリカ・125分
監督:ケヴィン・レイノルズ
製作:モシュ・ディアマント ジャンニーナ・ファシオ 他
製作総指揮:リドリー・スコット トニー・スコット 他
脚本:ディーン・ジョーガリス
撮影:アルトゥール・ラインハルト
音楽:アン・ダッドリー
出演:ジェームズ・フランコ ソフィア・マイルズ
ルーファス・シーウェル デヴィッド・オハラ 他
中世・英国 ― 瀕死の重傷を負ったコーンウォールの騎士・トリスタン(ジェームズ・フランコ)は、敵国のアイルランドに流れ着き、美しく芯の強いある女(ソフィア・マイルズ)の介抱を受けて快復する。共に過ごすうちに強く惹かれ合うふたりだが、その女の正体は、アイルランド王の娘・イゾルデ ― つまり、トリスタンとは敵対する立場にある姫だったのだ。その後、コーンウォールの領主でありトリスタンの恩人でもあるマーク王(ルーファス・シーウェル)が、イゾルデと政略結婚することになり……。
『トリスタンとイゾルデ』というと、リヒャルト・ワーグナーの楽劇(……とは分類されない、とも言われているが)として有名で、私もこの物語とは楽劇でしかなじみがなかったようなもの。とはいっても、CDで聴いただけで生の舞台では観たことがないし、耳がはっきりと記憶しているのは、前奏曲と、イゾルデのアリア『愛の死』くらいのものだけれど。
もともと、『トリスタンとイゾルデ』はケルトの説話で、中世に宮廷詩人たちが広めた悲恋物語、ということ。古い説話の常で、異本は多数。とはいえ、どの伝承であろうと、この物語で最も重要な要素のひとつが「媚薬」であるだろうと思われる。懊悩の中、葛藤に揺れていたトリスタンとイゾルデが、互いへの欲望を急激に抑えきれなくなるきっかけとなる「媚薬」。
しかし、映画化された今作では、「媚薬」が使われていない。薬物になど頼らない純粋な愛が、この映画では描かれている。貫かれている。
そう、とにかく純粋なのだ。プラトニックに限りなく近い肉体関係という、美しい矛盾。不倫だっていうのにさ。『トリスタンとイゾルデ』という題目から私が連想する、「泥沼感」や「悲愴感」が、この映画からはたいして伝わってこなかった。悲恋は悲恋なのだけれど、大人の雰囲気が漂っていなくて、青臭くて生ぬるい。「こういう稚い悲恋が観たければ、『ロミオとジュリエット』を選ぶよ」と思ってしまったくらい。
とはいえ、それはもちろん好みの問題である。映画としての出来は、決して悪くないのだろう。壮大な景色を存分に生かしているロケ、お金がかかっていることが一目瞭然のセットと衣装、若干の駆け足感は否めないが、尻すぼまりにはならずにまとまったストーリィ ― 史劇映画としての、それなりの重厚さで魅せる材料は揃っている。ただ、特筆すべき点や突出した点を、私の目は見つけられなかったのだ。あくまでも、個人的な感慨だが、勢いや臨場感にどうも欠けた、「時間を淡々と追う史劇」という味わいを受けてしまった(特に、剣戟のシーンに迫力の足りなさを覚えた)。リドリー・スコットが、製作総指揮ではなく、監督をしていたら……、『グラディエーター』のようなスペクタクル感満載の史劇映画になっていたのではないかな、と申し訳ないとは思いつつも想像しないではいられなかった。
トリスタンの恩人であり、イゾルデの夫となるマーク王。彼を演じたルーファス・シーウェルの饒舌な瞳が圧巻だった。もともと、目の動きが印象的な俳優さんではあるが。シーウェルというと、『娼婦ベロニカ』を思い出す。好きな映画のひとつだが、そういえば、この作品もコスプレ系歴史物だったな。
トリスタンを演じたジェームズ・フランコも、眼力の強さでは負けていない。「『スパイダーマン』シリーズに出演した俳優」という肩書きが彼にはついているようだけど、私にとっては、ジェームズ・フランコといったら『SONNY/ソニー』だ。フランコ演じる「伝説の男娼」ソニーと、「運命の娼婦」キャロル(演じたのはミーナ・スヴァーリ)の、未成熟で切ない青春恋愛映画。幼さ・哀愁・諦め・純真、そういった多種の要素を同時に内在して閃かせる瞳を、ジェームズ・フランコは持っているように思う(ミーナ・スヴァーリもそうだけれど)。彼のそんな眼力は、『トリスタンとイゾルデ』でも顕著だった。フランコやシーウェルの瞳の威力があまりにも強すぎたため、ソフィア・マイルズが演じたイゾルデのヒロインとしての重みが霞んだようにさえ思う。
試写日:2006年9月28日(木)@日本教育会館・一ツ橋ホール
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『トリスタンとイゾルデ』
原題:"TRISTAN&ISOLDE"
参考:トリスタンとイゾルデ@映画生活 トリスタンとイゾルデ-シネマトゥデイ
2006年・アメリカ・125分
監督:ケヴィン・レイノルズ
製作:モシュ・ディアマント ジャンニーナ・ファシオ 他
製作総指揮:リドリー・スコット トニー・スコット 他
脚本:ディーン・ジョーガリス
撮影:アルトゥール・ラインハルト
音楽:アン・ダッドリー
出演:ジェームズ・フランコ ソフィア・マイルズ
ルーファス・シーウェル デヴィッド・オハラ 他
中世・英国 ― 瀕死の重傷を負ったコーンウォールの騎士・トリスタン(ジェームズ・フランコ)は、敵国のアイルランドに流れ着き、美しく芯の強いある女(ソフィア・マイルズ)の介抱を受けて快復する。共に過ごすうちに強く惹かれ合うふたりだが、その女の正体は、アイルランド王の娘・イゾルデ ― つまり、トリスタンとは敵対する立場にある姫だったのだ。その後、コーンウォールの領主でありトリスタンの恩人でもあるマーク王(ルーファス・シーウェル)が、イゾルデと政略結婚することになり……。
『トリスタンとイゾルデ』というと、リヒャルト・ワーグナーの楽劇(……とは分類されない、とも言われているが)として有名で、私もこの物語とは楽劇でしかなじみがなかったようなもの。とはいっても、CDで聴いただけで生の舞台では観たことがないし、耳がはっきりと記憶しているのは、前奏曲と、イゾルデのアリア『愛の死』くらいのものだけれど。
もともと、『トリスタンとイゾルデ』はケルトの説話で、中世に宮廷詩人たちが広めた悲恋物語、ということ。古い説話の常で、異本は多数。とはいえ、どの伝承であろうと、この物語で最も重要な要素のひとつが「媚薬」であるだろうと思われる。懊悩の中、葛藤に揺れていたトリスタンとイゾルデが、互いへの欲望を急激に抑えきれなくなるきっかけとなる「媚薬」。
しかし、映画化された今作では、「媚薬」が使われていない。薬物になど頼らない純粋な愛が、この映画では描かれている。貫かれている。
そう、とにかく純粋なのだ。プラトニックに限りなく近い肉体関係という、美しい矛盾。不倫だっていうのにさ。『トリスタンとイゾルデ』という題目から私が連想する、「泥沼感」や「悲愴感」が、この映画からはたいして伝わってこなかった。悲恋は悲恋なのだけれど、大人の雰囲気が漂っていなくて、青臭くて生ぬるい。「こういう稚い悲恋が観たければ、『ロミオとジュリエット』を選ぶよ」と思ってしまったくらい。
とはいえ、それはもちろん好みの問題である。映画としての出来は、決して悪くないのだろう。壮大な景色を存分に生かしているロケ、お金がかかっていることが一目瞭然のセットと衣装、若干の駆け足感は否めないが、尻すぼまりにはならずにまとまったストーリィ ― 史劇映画としての、それなりの重厚さで魅せる材料は揃っている。ただ、特筆すべき点や突出した点を、私の目は見つけられなかったのだ。あくまでも、個人的な感慨だが、勢いや臨場感にどうも欠けた、「時間を淡々と追う史劇」という味わいを受けてしまった(特に、剣戟のシーンに迫力の足りなさを覚えた)。リドリー・スコットが、製作総指揮ではなく、監督をしていたら……、『グラディエーター』のようなスペクタクル感満載の史劇映画になっていたのではないかな、と申し訳ないとは思いつつも想像しないではいられなかった。
トリスタンの恩人であり、イゾルデの夫となるマーク王。彼を演じたルーファス・シーウェルの饒舌な瞳が圧巻だった。もともと、目の動きが印象的な俳優さんではあるが。シーウェルというと、『娼婦ベロニカ』を思い出す。好きな映画のひとつだが、そういえば、この作品もコスプレ系歴史物だったな。
トリスタンを演じたジェームズ・フランコも、眼力の強さでは負けていない。「『スパイダーマン』シリーズに出演した俳優」という肩書きが彼にはついているようだけど、私にとっては、ジェームズ・フランコといったら『SONNY/ソニー』だ。フランコ演じる「伝説の男娼」ソニーと、「運命の娼婦」キャロル(演じたのはミーナ・スヴァーリ)の、未成熟で切ない青春恋愛映画。幼さ・哀愁・諦め・純真、そういった多種の要素を同時に内在して閃かせる瞳を、ジェームズ・フランコは持っているように思う(ミーナ・スヴァーリもそうだけれど)。彼のそんな眼力は、『トリスタンとイゾルデ』でも顕著だった。フランコやシーウェルの瞳の威力があまりにも強すぎたため、ソフィア・マイルズが演じたイゾルデのヒロインとしての重みが霞んだようにさえ思う。
試写日:2006年9月28日(木)@日本教育会館・一ツ橋ホール
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