ごはんの支度をしながら、気の合う映画を想うのが好き。字書き屋・香ん乃がお贈りする、インフォメーション・シネマ感想文・雑記など。
2006/07/02 05:53 『サイレントヒル』を観たよ。
やっぱり、いつどんな場所と状況でも、……ゴキブリは増殖しているのね。
『サイレントヒル』
原題:"SILENT HILL"
参考:サイレントヒル@映画生活 サイレントヒル@FLiXムービーサイト
2006年・アメリカ/日本/カナダ/フランス・126分
監督:クリストフ・ガンズ
製作:ドン・カーモディ サミュエル・ハディダ
製作総指揮:ヴィクター・ハディダ 山岡晃 他
脚本:ロジャー・エリヴァリー
撮影:ダン・ローストセン
編集:セバスチャン・プランジェール
音楽:ジェフ・ダナ
出演:ラダ・ミッチェル ショーン・ビーン ジョデル・フェルランド
ローリー・ホールデン アリス・クリーグ キム・コーツ 他
9歳の少女・シャロン(ジョデル・フェルランド)には、夢遊病の気がある。意識とは無縁に彷徨うそんなとき、彼女は決まって「サイレント・ヒルへ帰る!」と叫ぶのだった。「サイレント・ヒル」とは、実在の街。大規模な火災に襲われた場所で、現在、公式の記録では廃墟として存在を葬り去られている。シャロンの母親・ローズ(ラダ・ミッチェル)は、娘が抱える問題を解決したいと望むあまり、廃墟のサイレント・ヒルへシャロンと共に足を踏み入れてしまった。一方、ローズの夫でありシャロンの父でもあるクリストファー(ショーン・ビーン)も、ふたりを追ってサイレント・ヒルへ赴くが……。
一応「映画系ブログ」のつもりでやっているこのツレヅレを始めてから、1年とちょっとくらい経っている今になって、うちの〔ホラー・スリラー〕ジャンルに初めてカテゴライズされる作品の今作。このブログを始めてから、やっと観た最初のホラー。……そう、私はホラーが苦手。うん、苦手なんだってば。
スーパー・ナチュラルな現象は信じていない(&信じたくない)ので、たとえば、「ゾンビが現実に私を襲ってくるかもしれない!」などという心配をしているわけではない(あたりまえだ)。ただ、「音」に驚かされるのが恐い。それ以上に、「流血(特に刃物での傷)」に弱い。だから、ホラーやスリラーは、好んでは決して観ない。それでも、試写には応募している。だけど、ここ1年近く当選しなかった。しかし、今回は当たった。……ものすごく久々に当選してタダ観してきたホラー映画が、この『サイレントヒル』。
コナミがつくった和製ホラー・ゲーム『サイレント・ヒル』シリーズの、海外での映画化作品である。どうやら、ゲームの第1作にそれなりに則ってつくられているらしい(多分)。
恐い系ゲームの老舗『バイオ・ハザード』の第1作目すら、恐ろしすぎてクリアできなかった軟弱者の私は、以後、ホラー系ゲームには手を出していない。なので、『サイレントヒル』という名称は知っていたけれど、どんな話なのかという予備知識はないままに今作を観た。
結論から先に言うと、恐怖は別に感じなかった。それはきっと、カルトなキリスト教といわゆる「魔女狩り」に対するコアな知識や親近感が自分にないせいと、繰り返しになってしまうが「ゾンビが自分を襲ってくるわけないじゃん」という安心感が、自身の根底にあるためだろうと思う。だけど、ホラー慣れしていない自分には、充分に手応え満点だったよ。よくできていたように思うよ、各種の特殊映像と、恐ろしさを煽る設定と効果は。辻褄が合わない点や、流されて説明されなかった点、そういった部分はなかったし、安直すぎたり疑問にかられたりする点もなかった。ストーリィ展開・人物描写・特殊映像、私にとってはいずれも純粋に「おもしろいじゃん、この映画」と思えたんだ。
ラダ・ミッチェルや豆さんが出演していると知らなかったので、オープニングに表示された名前を見て、「ええっ!? この人たちが出てるんだ!!」とびっくりしてしまったよ……。
キー・パーソンとなるシャロンを演じた子役はジョデル・フェルランド。「ダコタ・ファニングに次ぐ天才子役女優」と言われているらしい。とはいえ、この作品で彼女を観た限り、ダコタとは系統がまったく違う。まあ、ふたりの年齢やキャリアを詳細に比べたり知っていたりするわけじゃないから、感覚的なことしか言えないけれど、今作でジョデルを観た限り、ものすごい色気を私はこの子に感じたんだ。もちろん、彼女は子供だ。少女だ。そして、撮りかたの影響も多分にあるだろうと思う。だが、この子からは、特にこの子の瞳と視線からは、神秘的で危険なエロティックな生々しさが漂ってきたのだ。「ロリータ」というジャンルができる背景と、それに直接的な影響を与えた映画を、ちょっと思い出さずにはいられなかったくらいに。『サイレントヒル』でのジョデルの出演シーンは決して多くないため、彼女の演技が巧いのかどうかはまだ判断したくないのだが、「ピュアな少女をやらせたら右に出る者はいない、正統派かつ演技派のダコタ・ファニング」と横に並べて考えるのは、いろいろな意味で違うと思う。ふたりのジャンルとキャラクターが、まったく異なるから。だって、少なくとも私は、2006年現在のダコタ・ファニングに、「色気」や「神秘性」を感じないし、求めもしないもの。
監督のクリストフ・ガンズは、『ジェヴォーダンの獣』
を撮ったかた。……この映画、いいよ。ものすっごく面白かった。「フランス映画にこういうエンタメがあるなんて!!」と、目から鱗がぼろんぼろん落ちたのよ。映画ファンなら、歴史好きなら、エンタメ・ファンなら、観て損のない作品だと思う。……話が逸れたね。その『ジェヴォーダンの獣』を撮った監督の手がけた作品が『サイレントヒル』だと知っていたので、観る前から娯楽性に安心を預けていた部分が私にはある。でもって、別に裏切られはしなかった。だからといって、期待をうわまわった結果に終わった、とも言えないのも正直なところだけれども。
コナミがつくったオリジナルの『サイレントヒル』ゲーム・シリーズ、ちょっとプレイしてみたくなっちゃったけど、……たとえば夜中に、たった独りで、あの雰囲気を味わう勇気は……、やっぱ私にはないなぁ。情けないけどさ。
試写日:2006年6月30日(金)@よみうりホール
お気が向かれたら →

関連商品
『サイレントヒル』
原題:"SILENT HILL"
参考:サイレントヒル@映画生活 サイレントヒル@FLiXムービーサイト
2006年・アメリカ/日本/カナダ/フランス・126分
監督:クリストフ・ガンズ
製作:ドン・カーモディ サミュエル・ハディダ
製作総指揮:ヴィクター・ハディダ 山岡晃 他
脚本:ロジャー・エリヴァリー
撮影:ダン・ローストセン
編集:セバスチャン・プランジェール
音楽:ジェフ・ダナ
出演:ラダ・ミッチェル ショーン・ビーン ジョデル・フェルランド
ローリー・ホールデン アリス・クリーグ キム・コーツ 他
9歳の少女・シャロン(ジョデル・フェルランド)には、夢遊病の気がある。意識とは無縁に彷徨うそんなとき、彼女は決まって「サイレント・ヒルへ帰る!」と叫ぶのだった。「サイレント・ヒル」とは、実在の街。大規模な火災に襲われた場所で、現在、公式の記録では廃墟として存在を葬り去られている。シャロンの母親・ローズ(ラダ・ミッチェル)は、娘が抱える問題を解決したいと望むあまり、廃墟のサイレント・ヒルへシャロンと共に足を踏み入れてしまった。一方、ローズの夫でありシャロンの父でもあるクリストファー(ショーン・ビーン)も、ふたりを追ってサイレント・ヒルへ赴くが……。
一応「映画系ブログ」のつもりでやっているこのツレヅレを始めてから、1年とちょっとくらい経っている今になって、うちの〔ホラー・スリラー〕ジャンルに初めてカテゴライズされる作品の今作。このブログを始めてから、やっと観た最初のホラー。……そう、私はホラーが苦手。うん、苦手なんだってば。
スーパー・ナチュラルな現象は信じていない(&信じたくない)ので、たとえば、「ゾンビが現実に私を襲ってくるかもしれない!」などという心配をしているわけではない(あたりまえだ)。ただ、「音」に驚かされるのが恐い。それ以上に、「流血(特に刃物での傷)」に弱い。だから、ホラーやスリラーは、好んでは決して観ない。それでも、試写には応募している。だけど、ここ1年近く当選しなかった。しかし、今回は当たった。……ものすごく久々に当選してタダ観してきたホラー映画が、この『サイレントヒル』。
コナミがつくった和製ホラー・ゲーム『サイレント・ヒル』シリーズの、海外での映画化作品である。どうやら、ゲームの第1作にそれなりに則ってつくられているらしい(多分)。
恐い系ゲームの老舗『バイオ・ハザード』の第1作目すら、恐ろしすぎてクリアできなかった軟弱者の私は、以後、ホラー系ゲームには手を出していない。なので、『サイレントヒル』という名称は知っていたけれど、どんな話なのかという予備知識はないままに今作を観た。
結論から先に言うと、恐怖は別に感じなかった。それはきっと、カルトなキリスト教といわゆる「魔女狩り」に対するコアな知識や親近感が自分にないせいと、繰り返しになってしまうが「ゾンビが自分を襲ってくるわけないじゃん」という安心感が、自身の根底にあるためだろうと思う。だけど、ホラー慣れしていない自分には、充分に手応え満点だったよ。よくできていたように思うよ、各種の特殊映像と、恐ろしさを煽る設定と効果は。辻褄が合わない点や、流されて説明されなかった点、そういった部分はなかったし、安直すぎたり疑問にかられたりする点もなかった。ストーリィ展開・人物描写・特殊映像、私にとってはいずれも純粋に「おもしろいじゃん、この映画」と思えたんだ。
ラダ・ミッチェルや豆さんが出演していると知らなかったので、オープニングに表示された名前を見て、「ええっ!? この人たちが出てるんだ!!」とびっくりしてしまったよ……。
キー・パーソンとなるシャロンを演じた子役はジョデル・フェルランド。「ダコタ・ファニングに次ぐ天才子役女優」と言われているらしい。とはいえ、この作品で彼女を観た限り、ダコタとは系統がまったく違う。まあ、ふたりの年齢やキャリアを詳細に比べたり知っていたりするわけじゃないから、感覚的なことしか言えないけれど、今作でジョデルを観た限り、ものすごい色気を私はこの子に感じたんだ。もちろん、彼女は子供だ。少女だ。そして、撮りかたの影響も多分にあるだろうと思う。だが、この子からは、特にこの子の瞳と視線からは、神秘的で危険なエロティックな生々しさが漂ってきたのだ。「ロリータ」というジャンルができる背景と、それに直接的な影響を与えた映画を、ちょっと思い出さずにはいられなかったくらいに。『サイレントヒル』でのジョデルの出演シーンは決して多くないため、彼女の演技が巧いのかどうかはまだ判断したくないのだが、「ピュアな少女をやらせたら右に出る者はいない、正統派かつ演技派のダコタ・ファニング」と横に並べて考えるのは、いろいろな意味で違うと思う。ふたりのジャンルとキャラクターが、まったく異なるから。だって、少なくとも私は、2006年現在のダコタ・ファニングに、「色気」や「神秘性」を感じないし、求めもしないもの。
監督のクリストフ・ガンズは、『ジェヴォーダンの獣』
コナミがつくったオリジナルの『サイレントヒル』ゲーム・シリーズ、ちょっとプレイしてみたくなっちゃったけど、……たとえば夜中に、たった独りで、あの雰囲気を味わう勇気は……、やっぱ私にはないなぁ。情けないけどさ。
試写日:2006年6月30日(金)@よみうりホール
お気が向かれたら →

関連商品
2006/07/02 01:17 ブログ内リンク更新。
ブログ内リンクに、〔映画人的トラック・バック・センター〕さまを追加しました。映画ブロガーさんには、便利でありがたいブログさんだと思います。ぜひぜひご訪問ください(^^)
2006/07/02 01:00 『胡同のひまわり』を観たよ。
「丁寧」、このひと言。
『胡同のひまわり』
原題:"向日葵"
英題:"SUNFLOWER"
参考:胡同のひまわり@映画生活 『胡同(フートン)のひまわり』-FLiXムービーサイト
2005年・中国・132分
監督・脚本:チャン・ヤン
プロデューサー:ピーター・ローアー
脚本:ツァイ・シャンチュン フォ・シン
撮影:ジョン・リン
音楽:リン・ハイ
出演:スン・ハイイン ジョアン・チェン ワン・ハイディ
チャン・ファン ガオ・グー リュウ・ツー・フォン 他
1976年のことだった。北京の下町・胡同で母親(ジョアン・チェン)とふたり暮らしをしている9歳のシャンヤン(少年時:チャン・ファン 青年時:ガオ・グー 成年時:ワン・ハイディ)のもとへ、父親(スン・ハイイン)が帰ってきたのである。シャンヤンが更に幼かった頃、文化大革命の強制労働で、父は農場へ働きに行かされていたのだった。画家だった父であるが、農場での労働の結果、利き手の親指が動かなくなってしまった。シャンヤンに絵の才を見いだした父は、非情にも見える厳格さで息子に接する。そんな父に、シャンヤンは強い反抗意識をいだくが……。
試写が終わったあと、唐突に思い出した。「中国の夫婦は、原則として『子供をひとりしか儲けちゃいけない』んだ」ということを。一子しか授かってはならないと定められている環境なのだという事実と、それならば自ずと中絶手術の需要が多いのだろうという予想、このふたつを頭に置いてこの映画を思い返すと、ただでさえ密度の濃い物語の重みが更に増すような気がした。
これほど「丁寧」な映画を観たのは久しぶりである。無理がなく的確な伏線の敷きかた、小道具や小動物の印象的な使いかた、その場にふさわしい音楽の挟みかた ― 「細部に至るまで」という表現を使いたくなる。「細部に至るまで、丁寧に」つくられているため、不自然に主張が激しいシーンや、勢いが強すぎて違和感を覚えさせられるシーンなどはない。皆無。これがどれだけ珍しく稀有なことであるか、最近の数々の映画を思い返してもらえれば、説明などまったく不要であろう。
父と息子の関係がテーマの映画であるが、シャンヤンの両親、つまりスン・ハイインとジョアン・チェンが演じる夫婦の空気感と姿も、とてもよい。たとえラブラブでなくても、たとえ会話や触れ合いが目立っていなくても、確実の愛情と避けられない心の葛藤は、静かに烈しく「見えて」くるもの。結婚をしようが、老年になろうが、恋愛に終わりや答えはないのだと、この夫婦の情景が語っていたように思う。この映画に出演している俳優は、子役も含めて誰もが演技に長けているが、中でも、スン・ハイインの存在感は奇跡的。寡黙の中に凄みがある。また、ジョアン・チェンの出演作は、それこそ何作も観ているが、この女優に強烈な感嘆を覚えたのは、私にとって今作が初めてである。
不満だったというか、少々残念だった点は、シャンヤンが関わる女性たち(ガール・フレンドや妻)の設定に詳細さが足りなかったこと。たとえば、「ここは彼女の実の親や家族が出てくるところだろう!?」という問題が起こっても、シャンヤンの父親や母親が対処・解決してしまう。この映画はシャンヤンとその家族を描いた物語であり、登場人物やサイド・ストーリィをこれ以上増やしたらまとまりがなくなるのだろうと承知ではいても、この点に関してだけは、「説得力がないなぁ」と苦笑せざるをえなかった。
とはいえ、この映画が「丁寧」という言葉で形容できる作品だということに変わりはない。シャンヤンの父親の考えかたや家族への接しかた、生きかたには、私はほとんど共感できないし、賛成もできないけれど、「こういう考えの人もいるだろう。こういう家族の在りかたも特殊ではないだろう」と納得することはできる。キャラクターの性格やストーリィの内容にまったく好意的になれなくても、文句すら言えなくなってしまうのだ。ここまで濃やかで、緻密で、何度も言ってしまうが、「丁寧」な映画を見せられてしまうと。
試写日:2006年7月1日(土)@スペースFS汐留


『胡同のひまわり』
原題:"向日葵"
英題:"SUNFLOWER"
参考:胡同のひまわり@映画生活 『胡同(フートン)のひまわり』-FLiXムービーサイト
2005年・中国・132分
監督・脚本:チャン・ヤン
プロデューサー:ピーター・ローアー
脚本:ツァイ・シャンチュン フォ・シン
撮影:ジョン・リン
音楽:リン・ハイ
出演:スン・ハイイン ジョアン・チェン ワン・ハイディ
チャン・ファン ガオ・グー リュウ・ツー・フォン 他
1976年のことだった。北京の下町・胡同で母親(ジョアン・チェン)とふたり暮らしをしている9歳のシャンヤン(少年時:チャン・ファン 青年時:ガオ・グー 成年時:ワン・ハイディ)のもとへ、父親(スン・ハイイン)が帰ってきたのである。シャンヤンが更に幼かった頃、文化大革命の強制労働で、父は農場へ働きに行かされていたのだった。画家だった父であるが、農場での労働の結果、利き手の親指が動かなくなってしまった。シャンヤンに絵の才を見いだした父は、非情にも見える厳格さで息子に接する。そんな父に、シャンヤンは強い反抗意識をいだくが……。
試写が終わったあと、唐突に思い出した。「中国の夫婦は、原則として『子供をひとりしか儲けちゃいけない』んだ」ということを。一子しか授かってはならないと定められている環境なのだという事実と、それならば自ずと中絶手術の需要が多いのだろうという予想、このふたつを頭に置いてこの映画を思い返すと、ただでさえ密度の濃い物語の重みが更に増すような気がした。
これほど「丁寧」な映画を観たのは久しぶりである。無理がなく的確な伏線の敷きかた、小道具や小動物の印象的な使いかた、その場にふさわしい音楽の挟みかた ― 「細部に至るまで」という表現を使いたくなる。「細部に至るまで、丁寧に」つくられているため、不自然に主張が激しいシーンや、勢いが強すぎて違和感を覚えさせられるシーンなどはない。皆無。これがどれだけ珍しく稀有なことであるか、最近の数々の映画を思い返してもらえれば、説明などまったく不要であろう。
父と息子の関係がテーマの映画であるが、シャンヤンの両親、つまりスン・ハイインとジョアン・チェンが演じる夫婦の空気感と姿も、とてもよい。たとえラブラブでなくても、たとえ会話や触れ合いが目立っていなくても、確実の愛情と避けられない心の葛藤は、静かに烈しく「見えて」くるもの。結婚をしようが、老年になろうが、恋愛に終わりや答えはないのだと、この夫婦の情景が語っていたように思う。この映画に出演している俳優は、子役も含めて誰もが演技に長けているが、中でも、スン・ハイインの存在感は奇跡的。寡黙の中に凄みがある。また、ジョアン・チェンの出演作は、それこそ何作も観ているが、この女優に強烈な感嘆を覚えたのは、私にとって今作が初めてである。
不満だったというか、少々残念だった点は、シャンヤンが関わる女性たち(ガール・フレンドや妻)の設定に詳細さが足りなかったこと。たとえば、「ここは彼女の実の親や家族が出てくるところだろう!?」という問題が起こっても、シャンヤンの父親や母親が対処・解決してしまう。この映画はシャンヤンとその家族を描いた物語であり、登場人物やサイド・ストーリィをこれ以上増やしたらまとまりがなくなるのだろうと承知ではいても、この点に関してだけは、「説得力がないなぁ」と苦笑せざるをえなかった。
とはいえ、この映画が「丁寧」という言葉で形容できる作品だということに変わりはない。シャンヤンの父親の考えかたや家族への接しかた、生きかたには、私はほとんど共感できないし、賛成もできないけれど、「こういう考えの人もいるだろう。こういう家族の在りかたも特殊ではないだろう」と納得することはできる。キャラクターの性格やストーリィの内容にまったく好意的になれなくても、文句すら言えなくなってしまうのだ。ここまで濃やかで、緻密で、何度も言ってしまうが、「丁寧」な映画を見せられてしまうと。
試写日:2006年7月1日(土)@スペースFS汐留


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