ごはんの支度をしながら、気の合う映画を想うのが好き。字書き屋・香ん乃がお贈りする、インフォメーション・シネマ感想文・雑記など。
2006/06/14 12:55 不死身の人間なんて、
いるわけがないのだけれど、このかたにはそんな言葉がふさわしいだなんて、心のどこかでなんとなく感じていたのかもしれない。
何度大病をなさっても、何度大手術を受けられようとも、このかたは必ずタクトを振りに帰って来られて、健康な人間でもなかなかチャレンジしようとしないようなプロジェクト(近年でのその最たる例は、ベートーヴェンのシンフォニー9曲全曲を「一日」で演奏したというコンサートだろう)に、次々と精力的に取り組まれていた。
クラシック音楽を聴くようになった十数年前、「音楽や音楽家について、活字でも知りたい」と思った私が真っ先に手にした本は、『棒ふりの休日』
だった。当時の自分がなぜこの本を選んだのかは、よく憶えていない。だが、この本をきっかけに、以後、私はこのかたの著作を夢中になって読み続けることになった。このかたが関わられたCDを聴いたり、演奏会へ足を運んだりした。だが、近年、このかたは現代音楽をメインに取り組まれていたこともあり、現代音楽が苦手な私の足は、このかたの演奏会から次第に遠のいていった。指揮台に立つこのかたと最後にライヴで接したのは、NHK交響楽団の演奏会のときだったと思う。※ 記憶をじっくりとたどったところ、このかたが指揮する演奏会で私が最後に聴いたのは、N響のものではなく、オーケストラ・アンサンブル金沢の会だった。
「音楽よりも、活字での印象のほうが強い」だなんて、音楽家のこのかたに失礼な言いかたになってしまうけれど、私はこのかたの書かれた文章
を一心不乱に読んだことを忘れられない。このかたの新刊を書店で手にすることができなくなると思うと、悲しくてたまらない。
心残りがある。このかたがそれこそ命がけで取り組まれたベートーヴェンの交響曲全曲演奏会、……リアルに体験しに行けばよかった。
指揮者の岩城宏之さん、ご冥福をお祈り致します。
《追記》
会員になっているN響のサントリー定期演奏会に、2006年6月14日の夜もいつもの通り出かけた。準・メルクルさんが指揮台に立たれたこの日、本来のプログラムの前に、岩城さんに捧げるため、バッハの"G線上のアリア"が演奏された(岩城さんはN響の正指揮者でもいらっしゃった)。
N響の弦セクションが演奏した、とても美しい、本当に、とてもとても美しいあの有名なアリアの旋律を、その音を聴けた時間のことを、この日にこの曲がこのオケで演奏された意味とそこにこめられた思いを、忘れたくない、そう思った。
クラシック音楽界の訃報といえば、つい先日の6月12日には、作曲家のリゲティ氏が亡くなったばかりでもある。
何度大病をなさっても、何度大手術を受けられようとも、このかたは必ずタクトを振りに帰って来られて、健康な人間でもなかなかチャレンジしようとしないようなプロジェクト(近年でのその最たる例は、ベートーヴェンのシンフォニー9曲全曲を「一日」で演奏したというコンサートだろう)に、次々と精力的に取り組まれていた。
クラシック音楽を聴くようになった十数年前、「音楽や音楽家について、活字でも知りたい」と思った私が真っ先に手にした本は、『棒ふりの休日』
「音楽よりも、活字での印象のほうが強い」だなんて、音楽家のこのかたに失礼な言いかたになってしまうけれど、私はこのかたの書かれた文章
心残りがある。このかたがそれこそ命がけで取り組まれたベートーヴェンの交響曲全曲演奏会、……リアルに体験しに行けばよかった。
指揮者の岩城宏之さん、ご冥福をお祈り致します。
《追記》
会員になっているN響のサントリー定期演奏会に、2006年6月14日の夜もいつもの通り出かけた。準・メルクルさんが指揮台に立たれたこの日、本来のプログラムの前に、岩城さんに捧げるため、バッハの"G線上のアリア"が演奏された(岩城さんはN響の正指揮者でもいらっしゃった)。
N響の弦セクションが演奏した、とても美しい、本当に、とてもとても美しいあの有名なアリアの旋律を、その音を聴けた時間のことを、この日にこの曲がこのオケで演奏された意味とそこにこめられた思いを、忘れたくない、そう思った。
クラシック音楽界の訃報といえば、つい先日の6月12日には、作曲家のリゲティ氏が亡くなったばかりでもある。
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