ごはんの支度をしながら、気の合う映画を想うのが好き。字書き屋・香ん乃がお贈りする、インフォメーション・シネマ感想文・雑記など。
2006/05/18 02:58 『せかいのおわり』を観たよ。
いいじゃん。あの娘には、「帰れる場所」があるんだから。
『せかいのおわり』
参考:せかいのおわり@映画生活 せかいのおわり-FLiXムービーサイト
2004年・日本・112分
監督:風間志織
プロデューサー:伊藤直克
脚本:及川章太郎
撮影:石井勲
音楽:岸野雄一
出演:中村麻美 渋川清彦 長塚圭史
田辺誠一 高木ブー 安藤希 他
現代的な盆栽屋で働いている慎之介(渋川清彦)は、女にだらしない。その盆栽屋の店長(長塚圭史)と一緒に暮らしている彼は、今朝もまた、連れ込んでエッチした女の名前すら憶えていなかった。その日、ふたりの住む家に、慎之介の幼なじみ・はる子(中村麻美)が転がり込んでくる。同棲していた彼氏に捨てられた彼女は、住むところがなくなったのだ。恋人と別れたり、行く宛てがなくなったりすると、はる子はこうして慎之介たちの家にふらりとやってくる。はる子を憎からず想っている慎之介は、何度でも彼女を構って相手してやるのだった。また、愛に真面目でバイ・セクシュアルの盆栽屋店長は、そんなふたりを近からず遠からず見守っていて……。
はる子と慎之介という主人公のふたりが、とにかく生きかたにだらしなくて、適当で、やる気なさげで、人生に対しての姿勢が甘いから、観ていてかったるくなってきて、むかつきもする。怒鳴りつけたくもなる(でも、叱ったところで「はあ? 意味わかんなーい」と、だるい口調で返してきそうな奴ら)。
だけど、はる子と慎之介を嫌いにはなれない。共感や同情さえできる。それはきっと、ふたりが、特にはる子が、「絶対の淋しさ」をまとっているから。その「絶対の淋しさ」に、運悪くなつかれちゃった人だから。
「自分を愛してくれる人」を、はる子はいつだって求めている。だから、恋に破れても、すぐに次の恋をする。でも、彼女が見つけられるのは、愛してくれる人ではなくて、「刹那的に自分を抱きしめてくれる人」ばかり。自分をかわいがってはくれても、永遠性を見いだしてくれない男ばかり。
女の子としてのはる子に魅力がないわけじゃない。惚れっぽい彼女だけど、尻軽というわけでもない。だけど、男に捨てられやすくて、大切にされることに縁遠い。……こういう女の子っている。結構いるんだ、現実に。こと恋愛に限ると、中途半端に運が悪くて、絶望的にタイミングの悪い女の子。でもって、「女の子」をやったことのある大半の女が思うんじゃないかな。「私こそ、そういう女の子だよ・昔はそういう女の子だったよ」と。で、そう感じてうなずく女(私も含めて)は、はる子の生活を肯定はできなくても、彼女が抱えている淋しさに同調することはしてしまうような気がする。
でれーっと、何度も言ってしまうが、だらしなく、かったるく、だるく、時間と映像がだらだらてれてれと流れていく映画。退屈さを感じたり、呆れたりしてしまう人も、きっと多いに違いない。
でも、「嘘っぽくない等身大の青春物語」を、久々にじっくりと見せてもらえたような気がする。この空気、この雰囲気、私はどうやら好きらしいのだ。だから、今回初めて知った風間志織監督のほかの作品も、機会があったら観てみたいな、と素直に考えた。
ひとつ、思ったこと。たとえ彼氏にふられようが、たとえ行く宛てがなくなろうが、はる子には帰る場所がある。慎之介と店長の住まいだけでなく、肉親がいる郷里すらある。……だったら、そんなに淋しがったり、絶望的に考えたりするのは、贅沢ってもんなんだよ、あんたは恵まれてるんだよ、甘いんだよ、と皮肉を言いたくなっちゃったな。
観た日:2006年5月12日(金)@自宅にてDVD

『せかいのおわり』
参考:せかいのおわり@映画生活 せかいのおわり-FLiXムービーサイト
2004年・日本・112分
監督:風間志織
プロデューサー:伊藤直克
脚本:及川章太郎
撮影:石井勲
音楽:岸野雄一
出演:中村麻美 渋川清彦 長塚圭史
田辺誠一 高木ブー 安藤希 他
現代的な盆栽屋で働いている慎之介(渋川清彦)は、女にだらしない。その盆栽屋の店長(長塚圭史)と一緒に暮らしている彼は、今朝もまた、連れ込んでエッチした女の名前すら憶えていなかった。その日、ふたりの住む家に、慎之介の幼なじみ・はる子(中村麻美)が転がり込んでくる。同棲していた彼氏に捨てられた彼女は、住むところがなくなったのだ。恋人と別れたり、行く宛てがなくなったりすると、はる子はこうして慎之介たちの家にふらりとやってくる。はる子を憎からず想っている慎之介は、何度でも彼女を構って相手してやるのだった。また、愛に真面目でバイ・セクシュアルの盆栽屋店長は、そんなふたりを近からず遠からず見守っていて……。
はる子と慎之介という主人公のふたりが、とにかく生きかたにだらしなくて、適当で、やる気なさげで、人生に対しての姿勢が甘いから、観ていてかったるくなってきて、むかつきもする。怒鳴りつけたくもなる(でも、叱ったところで「はあ? 意味わかんなーい」と、だるい口調で返してきそうな奴ら)。
だけど、はる子と慎之介を嫌いにはなれない。共感や同情さえできる。それはきっと、ふたりが、特にはる子が、「絶対の淋しさ」をまとっているから。その「絶対の淋しさ」に、運悪くなつかれちゃった人だから。
「自分を愛してくれる人」を、はる子はいつだって求めている。だから、恋に破れても、すぐに次の恋をする。でも、彼女が見つけられるのは、愛してくれる人ではなくて、「刹那的に自分を抱きしめてくれる人」ばかり。自分をかわいがってはくれても、永遠性を見いだしてくれない男ばかり。
女の子としてのはる子に魅力がないわけじゃない。惚れっぽい彼女だけど、尻軽というわけでもない。だけど、男に捨てられやすくて、大切にされることに縁遠い。……こういう女の子っている。結構いるんだ、現実に。こと恋愛に限ると、中途半端に運が悪くて、絶望的にタイミングの悪い女の子。でもって、「女の子」をやったことのある大半の女が思うんじゃないかな。「私こそ、そういう女の子だよ・昔はそういう女の子だったよ」と。で、そう感じてうなずく女(私も含めて)は、はる子の生活を肯定はできなくても、彼女が抱えている淋しさに同調することはしてしまうような気がする。
でれーっと、何度も言ってしまうが、だらしなく、かったるく、だるく、時間と映像がだらだらてれてれと流れていく映画。退屈さを感じたり、呆れたりしてしまう人も、きっと多いに違いない。
でも、「嘘っぽくない等身大の青春物語」を、久々にじっくりと見せてもらえたような気がする。この空気、この雰囲気、私はどうやら好きらしいのだ。だから、今回初めて知った風間志織監督のほかの作品も、機会があったら観てみたいな、と素直に考えた。
ひとつ、思ったこと。たとえ彼氏にふられようが、たとえ行く宛てがなくなろうが、はる子には帰る場所がある。慎之介と店長の住まいだけでなく、肉親がいる郷里すらある。……だったら、そんなに淋しがったり、絶望的に考えたりするのは、贅沢ってもんなんだよ、あんたは恵まれてるんだよ、甘いんだよ、と皮肉を言いたくなっちゃったな。
観た日:2006年5月12日(金)@自宅にてDVD

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