ごはんの支度をしながら、気の合う映画を想うのが好き。字書き屋・香ん乃がお贈りする、インフォメーション・シネマ感想文・雑記など。
2006/05/06 00:46 『ワンダフルライフ』を観たよ。
死者に対する「お節介」じゃない?
『ワンダフルライフ』
参考:ワンダフルライフ@映画生活
1999年・日本・118分
監督・脚本・編集:是枝裕和
プロデューサー:佐藤志保 秋枝正幸
撮影:山崎裕
音楽:笠松泰洋
助監督:高橋巌
出演:ARATA エリカ 寺島進
谷啓 内藤剛志 伊勢谷友介 他
人は死んだあと、とある学校のような場所へ連れて行かれる。死者はその施設に7日間滞在して、「生きていた中で最も大切な思い出」をひとつ選ぶのだ。そうすると、施設の職員がその思い出を撮影して映像とし、最終日に上映してくれるのだった。今日もまた、新たな死者が施設にやってきて、思い出を決めるための説明を受けるが……。
こんなに突飛で、いかにもファンタジックな設定だというのに、ドキュメンタリーのようなリアリズムにあふれている。『誰も知らない』を観たときにも思ったが、是枝監督の書く脚本ってどうなっているんだろう、と本当に不思議。よい意味で。「台詞」という概念を忘れてしまうほど、映画の中の言葉すべてが、街や職場で自然と耳にはいってくる生身の声のようなのだ。脚本にあるのか、アドリブなのか、そのいずれでもないのか、まったく判断がつかない。判断をつける必要もないのだろうけれど。
そして、『誰も知らない』と同様、『ワンダフルライフ』もまた、「結論」や「意味づけ」とは無縁の物語なのだなぁ、と感じた。「だから、○○なのである」といったようなテーマを押しつけられることがない。好き嫌いはあれど、これは魅力のひとつなのだろう。
私は死後の世界を信じない。信じたくもない。ただ、百歩譲って、「死後に、思い出を選べる施設がある」と仮定して、自分が死んだあとにそこを訪れることになるとしても、「思い出をひとつ選べ」とか「その思い出を映像化してあげる」とか、そんなことを言われてもまったく嬉しいとは思わないような気がする。余計なお世話だ、と感じてしまう。それは別に、自分に大切な思い出がないというわけではなく、むしろあるからこそ、それを敢えてひとつ選んだり、他者に伝えたりしたくはないだけだ。
ただ、こんなことをわざわざ考えて、「余計なお世話だよ」という自分なりの意見を言っている辺り、この映画が示した独特の設定と内容に取り込まれてしまった証拠なのだろうな。
ひとつ不思議だったこと。死者の思い出を映像化してくれる施設の職員は、個々の思い出を改めて撮影するのだが、思い出選びをする死者に、「その人が生きてきた記録フィルム」を参考として提供することもできる。つまり、「本物の思い出映像」が残っているわけだ。……だったら、わざわざ小道具やらなにやらを使って思い出をフィクションとして撮影し直さなくても、生きていた当時の真実のフィルムを見せてやればいいじゃん、と思ってしまったのだが、どうなんだろう……。私、映画の設定のなにかを誤解してしまったのだろうか。
どれだけリアリズムが匂う雰囲気や脚本でも、「死者が思い出を選ぶ」という非現実的な設定には共感できないし、好きになれない世界観ではあるのだが、この作品や『誰も知らない』に漂っている空気感には惹かれるものが確実にあるので、私はきっと今後も是枝監督の作品を観るのだろうなぁ、とは思う。
観た日:2006年3月25日(土)@自宅にてDVD
『ワンダフルライフ』
参考:ワンダフルライフ@映画生活
1999年・日本・118分
監督・脚本・編集:是枝裕和
プロデューサー:佐藤志保 秋枝正幸
撮影:山崎裕
音楽:笠松泰洋
助監督:高橋巌
出演:ARATA エリカ 寺島進
谷啓 内藤剛志 伊勢谷友介 他
人は死んだあと、とある学校のような場所へ連れて行かれる。死者はその施設に7日間滞在して、「生きていた中で最も大切な思い出」をひとつ選ぶのだ。そうすると、施設の職員がその思い出を撮影して映像とし、最終日に上映してくれるのだった。今日もまた、新たな死者が施設にやってきて、思い出を決めるための説明を受けるが……。
こんなに突飛で、いかにもファンタジックな設定だというのに、ドキュメンタリーのようなリアリズムにあふれている。『誰も知らない』を観たときにも思ったが、是枝監督の書く脚本ってどうなっているんだろう、と本当に不思議。よい意味で。「台詞」という概念を忘れてしまうほど、映画の中の言葉すべてが、街や職場で自然と耳にはいってくる生身の声のようなのだ。脚本にあるのか、アドリブなのか、そのいずれでもないのか、まったく判断がつかない。判断をつける必要もないのだろうけれど。
そして、『誰も知らない』と同様、『ワンダフルライフ』もまた、「結論」や「意味づけ」とは無縁の物語なのだなぁ、と感じた。「だから、○○なのである」といったようなテーマを押しつけられることがない。好き嫌いはあれど、これは魅力のひとつなのだろう。
私は死後の世界を信じない。信じたくもない。ただ、百歩譲って、「死後に、思い出を選べる施設がある」と仮定して、自分が死んだあとにそこを訪れることになるとしても、「思い出をひとつ選べ」とか「その思い出を映像化してあげる」とか、そんなことを言われてもまったく嬉しいとは思わないような気がする。余計なお世話だ、と感じてしまう。それは別に、自分に大切な思い出がないというわけではなく、むしろあるからこそ、それを敢えてひとつ選んだり、他者に伝えたりしたくはないだけだ。
ただ、こんなことをわざわざ考えて、「余計なお世話だよ」という自分なりの意見を言っている辺り、この映画が示した独特の設定と内容に取り込まれてしまった証拠なのだろうな。
ひとつ不思議だったこと。死者の思い出を映像化してくれる施設の職員は、個々の思い出を改めて撮影するのだが、思い出選びをする死者に、「その人が生きてきた記録フィルム」を参考として提供することもできる。つまり、「本物の思い出映像」が残っているわけだ。……だったら、わざわざ小道具やらなにやらを使って思い出をフィクションとして撮影し直さなくても、生きていた当時の真実のフィルムを見せてやればいいじゃん、と思ってしまったのだが、どうなんだろう……。私、映画の設定のなにかを誤解してしまったのだろうか。
どれだけリアリズムが匂う雰囲気や脚本でも、「死者が思い出を選ぶ」という非現実的な設定には共感できないし、好きになれない世界観ではあるのだが、この作品や『誰も知らない』に漂っている空気感には惹かれるものが確実にあるので、私はきっと今後も是枝監督の作品を観るのだろうなぁ、とは思う。
観た日:2006年3月25日(土)@自宅にてDVD
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