ごはんの支度をしながら、気の合う映画を想うのが好き。字書き屋・香ん乃がお贈りする、インフォメーション・シネマ感想文・雑記など。
2006/03/05 04:27 『海を飛ぶ夢』を観たよ。
最も「かわいそうな人」と私が感じてしまったのは、ラモンでも、彼に直接関わっていた人々でもない。きっとどこか根本の部分で妻に心を許してもらえていなかった、フリアの「夫」である。
『海を飛ぶ夢』
原題:"MAR ADENTRO"
英題:"THE SEA INSIDE"
参考:海を飛ぶ夢@映画生活
2004年・スペイン・125分
監督・製作総指揮・脚本・編集・音楽:アレハンドロ・アメナーバル
製作総指揮:フェルナンド・ボヴァイラ
脚本:マテオ・ヒル
撮影:ハビエル・アギーレサロベ
出演:ハビエル・バルデム ベレン・ルエダ
ロラ・ドゥエニャス クララ・セグラ
マベル・リヴェラ セルソ・ブガーリョ 他
若き日に海での事故で四肢麻痺となったラモン(ハビエル・バルデム)は、20年以上も寝たきりの生活を送っている。父、兄夫婦、そして、甥と暮らし、彼の世話は主に義姉のマヌエラ(マベル・リヴェラ)がしていた。あるとき、「自由」を支援する団体のジェネ(クララ・セグラ)を通じて、ラモンは弁護士のフリア(ベレン・ルエダ)と会う。「尊厳死」を望むラモンは、自ら人生を終えるための協力を弁護士に頼みたいと考えたのだ。
尊厳死を望んだラモン・サンペドロという実在の人物の手記をもとに映画化された作品とのこと。
そういえば、アメナーバルが監督した作品を観たのは初めてだ(『海を飛ぶ夢』は、彼の過去の監督作品とは、ずいぶんと味わいの異なる内容のようだが)。彼のプロフィールを調べて、この人が自分よりみっつしか年上でないということを知り、驚きのような、ショックのような、いろいろと複雑な感慨が湧いてきた。
年齢といえば、ラモン役のハビエル・バルデムが36歳(撮影時かな)だということを、ボー・BJ・ジングルズさまの「海を飛ぶ夢」@【或る日の出来事】さまにて知ってびっくり。作中にはラモンが青年だった頃のシーンもあるのだが、そこに出てくる若き日のラモンが年取ってからのラモン(早口言葉みたいだな)と、まるで親子のようによく似ていて、「いくら特殊メイクでも、若返らせるのは難しいはず。そっくりな役者を見つけてきたのかしら?」と不思議でたまらなかった。そう、私はおじさんのラモンこそ、現実のハビエル・バルデムだと信じ込んで観ていたのだ。となると、あの老けメイク、すごいなぁ。巧いなぁ。ナチュラル極まりなかったもの。
「登場人物の、誰の立場になって考えるか」で、感慨も味わいも意見も、まったく違ってくると思う。「自分が死んでいなくなることで悲しむ人々」のことを全然思いやっていないかのように映る、独善的にすら見えるラモンに、私はかなり怒りや悔しさを覚えた。しかし、それは「自分が彼の周囲にいる人間だとしたら」という立場になって考えたからであって、「もしも自分がラモンだったら」という立場に置き換えると、まず「周囲の人間を気遣ってるどころじゃないかも」と思い、やがては、「ラモンは決して周囲への思いやりが欠けているわけではないのだ」ということに気づく。
「ラモンは独善的すぎやしないか」という感覚は、最後まで消えなかった。とはいえ、前述したように、彼の周囲に対する思いやりが欠如していたわけではなかったと思う。ただ、自分の苦痛に耐え切れずに、長年いだいていた望みを優先したくなっただけなのだ。この「自分が苦しくていっぱいいっぱいになってしまったあまり、周りの人々への配慮よりも、自分が楽になることを優先する」という独善性は、誰にだってあるものではないだろうか。ラモンにとってのそれは「死」であったから、話が大ごとで深刻になっただけである。
この辺まで考えたとき、「登場人物を自分に置き換えたり、いろいろと想像したりするのは、もうやめよう」と思った。各キャラクター(特に、マヌエラ)に感情移入すると、酷に哀しい共感で、しばらく立ち直れそうにない気がしたから。そのように、気持ちにシャッターを下ろして観たせいだろうか。私はまったく泣かなかった。
四肢麻痺、そして、尊厳死。誰もが直面する可能性のある最もシリアスな事態と問題のひとつ、といえるかもしれない。自分がそうなるにしろ、自分の大切な誰かがそうなるにしろ。
いの一番に私は、「もし自分がラモンの立場になったら」と考えた。そんな自身に気づいて、「やっぱり私はわがままだな……」と、すこぶる冷静に、だが、なんとなく自嘲気味に、そう思った。
観た日:2006年3月4日@自宅にてDVD
お気が向かれたら →

『海を飛ぶ夢』
原題:"MAR ADENTRO"
英題:"THE SEA INSIDE"
参考:海を飛ぶ夢@映画生活
2004年・スペイン・125分
監督・製作総指揮・脚本・編集・音楽:アレハンドロ・アメナーバル
製作総指揮:フェルナンド・ボヴァイラ
脚本:マテオ・ヒル
撮影:ハビエル・アギーレサロベ
出演:ハビエル・バルデム ベレン・ルエダ
ロラ・ドゥエニャス クララ・セグラ
マベル・リヴェラ セルソ・ブガーリョ 他
若き日に海での事故で四肢麻痺となったラモン(ハビエル・バルデム)は、20年以上も寝たきりの生活を送っている。父、兄夫婦、そして、甥と暮らし、彼の世話は主に義姉のマヌエラ(マベル・リヴェラ)がしていた。あるとき、「自由」を支援する団体のジェネ(クララ・セグラ)を通じて、ラモンは弁護士のフリア(ベレン・ルエダ)と会う。「尊厳死」を望むラモンは、自ら人生を終えるための協力を弁護士に頼みたいと考えたのだ。
尊厳死を望んだラモン・サンペドロという実在の人物の手記をもとに映画化された作品とのこと。
そういえば、アメナーバルが監督した作品を観たのは初めてだ(『海を飛ぶ夢』は、彼の過去の監督作品とは、ずいぶんと味わいの異なる内容のようだが)。彼のプロフィールを調べて、この人が自分よりみっつしか年上でないということを知り、驚きのような、ショックのような、いろいろと複雑な感慨が湧いてきた。
年齢といえば、ラモン役のハビエル・バルデムが36歳(撮影時かな)だということを、ボー・BJ・ジングルズさまの「海を飛ぶ夢」@【或る日の出来事】さまにて知ってびっくり。作中にはラモンが青年だった頃のシーンもあるのだが、そこに出てくる若き日のラモンが年取ってからのラモン(早口言葉みたいだな)と、まるで親子のようによく似ていて、「いくら特殊メイクでも、若返らせるのは難しいはず。そっくりな役者を見つけてきたのかしら?」と不思議でたまらなかった。そう、私はおじさんのラモンこそ、現実のハビエル・バルデムだと信じ込んで観ていたのだ。となると、あの老けメイク、すごいなぁ。巧いなぁ。ナチュラル極まりなかったもの。
「登場人物の、誰の立場になって考えるか」で、感慨も味わいも意見も、まったく違ってくると思う。「自分が死んでいなくなることで悲しむ人々」のことを全然思いやっていないかのように映る、独善的にすら見えるラモンに、私はかなり怒りや悔しさを覚えた。しかし、それは「自分が彼の周囲にいる人間だとしたら」という立場になって考えたからであって、「もしも自分がラモンだったら」という立場に置き換えると、まず「周囲の人間を気遣ってるどころじゃないかも」と思い、やがては、「ラモンは決して周囲への思いやりが欠けているわけではないのだ」ということに気づく。
「ラモンは独善的すぎやしないか」という感覚は、最後まで消えなかった。とはいえ、前述したように、彼の周囲に対する思いやりが欠如していたわけではなかったと思う。ただ、自分の苦痛に耐え切れずに、長年いだいていた望みを優先したくなっただけなのだ。この「自分が苦しくていっぱいいっぱいになってしまったあまり、周りの人々への配慮よりも、自分が楽になることを優先する」という独善性は、誰にだってあるものではないだろうか。ラモンにとってのそれは「死」であったから、話が大ごとで深刻になっただけである。
この辺まで考えたとき、「登場人物を自分に置き換えたり、いろいろと想像したりするのは、もうやめよう」と思った。各キャラクター(特に、マヌエラ)に感情移入すると、酷に哀しい共感で、しばらく立ち直れそうにない気がしたから。そのように、気持ちにシャッターを下ろして観たせいだろうか。私はまったく泣かなかった。
四肢麻痺、そして、尊厳死。誰もが直面する可能性のある最もシリアスな事態と問題のひとつ、といえるかもしれない。自分がそうなるにしろ、自分の大切な誰かがそうなるにしろ。
いの一番に私は、「もし自分がラモンの立場になったら」と考えた。そんな自身に気づいて、「やっぱり私はわがままだな……」と、すこぶる冷静に、だが、なんとなく自嘲気味に、そう思った。
観た日:2006年3月4日@自宅にてDVD
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