ごはんの支度をしながら、気の合う映画を想うのが好き。字書き屋・香ん乃がお贈りする、インフォメーション・シネマ感想文・雑記など。
2006/02/23 00:07 『シルヴィア』を観たよ。
こういう映画を上手に解説できたり、的確に賞賛できたりする人って粋だよな、って思っちゃうんだけど、そんな人になりたい、って憧れちゃうんだけど、……高尚すぎて、理解も共感も全然できなかった。無念っていうか、敗北。
『シルヴィア』
原題:"SYLVIA"
参考:シルヴィア@映画生活
2003年・イギリス・110分
監督:クリスティン・ジェフズ
製作:アリソン・オーウェン
製作総指揮:ジェーン・バークレイ シャロン・ハレル 他
脚本:ジョン・ブラウンロウ
撮影:ジョン・トゥーン
音楽:ガブリエル・ヤーレ
出演:グウィネス・パルトロウ ダニエル・クレイグ
ブライス・ダナー マイケル・ガンボン 他
学生たちが集まるあるパーティで、ふたりの詩人が出逢った。シルヴィア(グウィネス・パルトロウ)とテッド(ダニエル・クレイグ)だ。それぞれに才能のあるふたりは、運命的な恋に落ち、ごく自然ななりゆきで結婚し、子供を授かる。しかし、幸せは長く続かない。詩人として順調に名声を得ていくテッドとは対照的に、家事や育児と詩作を両立できないシルヴィアは、精神的な不安定さが日に日に増していき……。夭逝の詩人 ― シルヴィア・プラスの伝記映画。
シルヴィア・プラスという詩人の名前は知っていても、作品を読んだことはない。映画にしろ文章にしろ、誰かの伝記に触れるときには、その対象への興味がないと集中力が半減しちゃうなぁ、と今更ながらに思い知った。なぜこの映画を観たかというと、予告編を目にした際に印象に残ったイギリスの風景が忘れられなかったから。とても美しかっただけでなく、そこに映じられている景色や人物たちの「温度」に、自分の肌がなんとなく合いそうな気がしたのだ。ただ、この予感はずいぶんとはずれてしまったように思う。きっと佳作なのだろうとは思うけれど、最初から最後まで、見入ることも魅入ることもできなかった。
シルヴィアという人の感性と気性は、わからなくもない。家事や育児に追われて詩作ができなかったり、あるときは、それらを「言い訳」の材料にして詩作から逃げたり、また、同業の夫と自身の才能を無意識に比較して焦りや不満を感じたりと、そういった描写はとても現実的であり、詩作を「職業」に置き換えれば、誰にでもシンクロしやすい題材である。それにもかかわらず、不思議なくらい感情移入できなかった。おそらく、シルヴィアやテッドがあたりまえのように生きる「教養にあふれた人々の輪の中」が、私には「遠い世界」すぎてしまって、ぴんとこなかったと同時に、ひがみを覚えたせいだろうと思われる。シルヴィアたちは学者ではないけれど、この映画を観ているあいだ、私は何度も「象牙の塔の住人」という言葉を思い出した。無論、私がシルヴィア・プラスという詩人の作品を知っていたり、この人に思い入れがあったりしたとしたら、感想も感慨もまったく違っていた可能性は否定できないわけだが。
グウィネス・パルトロウ、作品によっては、とても好きな女優だ。『恋に落ちたシェイクスピア』、『愛しのローズマリー』、『偶然の恋人』、どれも「グウィネスだからこそよかった、おもしろかった」と素直に感じられた。ただ、役によっては、あまりの優等生っぽさ・知的さに、「うーん……、住む世界が違いすぎて、共感できないような」という気分にかられてしまうことがある。ハリウッドのサラブレット、という彼女のバッグ・グラウンドが、私に偏見をもたらせているせいも多分にあるのかもしれない。今回のシルヴィア役も、グウィネスにとってははまり役だったのだろうと思うし、実際巧かったとも感じたが、……はまりすぎていて、その高尚っぽさが鼻についた、とも言えなくない。ただ、この味わいは、シルヴィア役としてマイナスにはならない、とも思う。
ダニエル・クレイグがメインで動いている映画を観たのは初めてかもしれない。結構格好よいな、と思いながら眺めていた。この人、ピアース・ブロスナンのあとのジェームズ・ボンドに決まったんだよね。合っていると思う、ボンドに。
今気づいたけれど、そういえば、ブライス・ダナーはグウィネスのお母さんだ。母娘共演だったのか、この映画。
観た日:2005年・冬の某日@自宅にてDVD
『シルヴィア』
原題:"SYLVIA"
参考:シルヴィア@映画生活
2003年・イギリス・110分
監督:クリスティン・ジェフズ
製作:アリソン・オーウェン
製作総指揮:ジェーン・バークレイ シャロン・ハレル 他
脚本:ジョン・ブラウンロウ
撮影:ジョン・トゥーン
音楽:ガブリエル・ヤーレ
出演:グウィネス・パルトロウ ダニエル・クレイグ
ブライス・ダナー マイケル・ガンボン 他
学生たちが集まるあるパーティで、ふたりの詩人が出逢った。シルヴィア(グウィネス・パルトロウ)とテッド(ダニエル・クレイグ)だ。それぞれに才能のあるふたりは、運命的な恋に落ち、ごく自然ななりゆきで結婚し、子供を授かる。しかし、幸せは長く続かない。詩人として順調に名声を得ていくテッドとは対照的に、家事や育児と詩作を両立できないシルヴィアは、精神的な不安定さが日に日に増していき……。夭逝の詩人 ― シルヴィア・プラスの伝記映画。
シルヴィア・プラスという詩人の名前は知っていても、作品を読んだことはない。映画にしろ文章にしろ、誰かの伝記に触れるときには、その対象への興味がないと集中力が半減しちゃうなぁ、と今更ながらに思い知った。なぜこの映画を観たかというと、予告編を目にした際に印象に残ったイギリスの風景が忘れられなかったから。とても美しかっただけでなく、そこに映じられている景色や人物たちの「温度」に、自分の肌がなんとなく合いそうな気がしたのだ。ただ、この予感はずいぶんとはずれてしまったように思う。きっと佳作なのだろうとは思うけれど、最初から最後まで、見入ることも魅入ることもできなかった。
シルヴィアという人の感性と気性は、わからなくもない。家事や育児に追われて詩作ができなかったり、あるときは、それらを「言い訳」の材料にして詩作から逃げたり、また、同業の夫と自身の才能を無意識に比較して焦りや不満を感じたりと、そういった描写はとても現実的であり、詩作を「職業」に置き換えれば、誰にでもシンクロしやすい題材である。それにもかかわらず、不思議なくらい感情移入できなかった。おそらく、シルヴィアやテッドがあたりまえのように生きる「教養にあふれた人々の輪の中」が、私には「遠い世界」すぎてしまって、ぴんとこなかったと同時に、ひがみを覚えたせいだろうと思われる。シルヴィアたちは学者ではないけれど、この映画を観ているあいだ、私は何度も「象牙の塔の住人」という言葉を思い出した。無論、私がシルヴィア・プラスという詩人の作品を知っていたり、この人に思い入れがあったりしたとしたら、感想も感慨もまったく違っていた可能性は否定できないわけだが。
グウィネス・パルトロウ、作品によっては、とても好きな女優だ。『恋に落ちたシェイクスピア』、『愛しのローズマリー』、『偶然の恋人』、どれも「グウィネスだからこそよかった、おもしろかった」と素直に感じられた。ただ、役によっては、あまりの優等生っぽさ・知的さに、「うーん……、住む世界が違いすぎて、共感できないような」という気分にかられてしまうことがある。ハリウッドのサラブレット、という彼女のバッグ・グラウンドが、私に偏見をもたらせているせいも多分にあるのかもしれない。今回のシルヴィア役も、グウィネスにとってははまり役だったのだろうと思うし、実際巧かったとも感じたが、……はまりすぎていて、その高尚っぽさが鼻についた、とも言えなくない。ただ、この味わいは、シルヴィア役としてマイナスにはならない、とも思う。
ダニエル・クレイグがメインで動いている映画を観たのは初めてかもしれない。結構格好よいな、と思いながら眺めていた。この人、ピアース・ブロスナンのあとのジェームズ・ボンドに決まったんだよね。合っていると思う、ボンドに。
今気づいたけれど、そういえば、ブライス・ダナーはグウィネスのお母さんだ。母娘共演だったのか、この映画。
観た日:2005年・冬の某日@自宅にてDVD
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