『レミーのおいしいレストラン』を観たよ。
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※↑は〔ブログルポ〕へ投稿するために必要な表記です。
最近つくってないなぁ、ラタトゥイユ。そろそろ夏野菜の時季が終わっちゃうってのに。冷蔵庫で適度に冷やしたラタトゥイユが、私は好き。
『レミーのおいしいレストラン』
"RATATOUILLE"
2007年・アメリカ・120分
監督・原案・脚本:ブラッド・バード
製作:ブラッド・ルイス
製作総指揮:ジョン・ラセター アンドリュー・スタントン
撮影:シャロン・カラハン
音楽:マイケル・ジアッキノ
声の出演:パットン・オズワルト ルー・ロマノ
ジャニーン・ガロファロー ピーター・オトゥール
ブラッド・ギャレット ブライアン・デネヒー 他
どぶねずみのレミー(声:パットン・オズワルト)は、抜群の嗅覚と味覚を持っている。人間がする「料理」という行いに興味があってたまらないのだが、彼はねずみだから、キッチンにいるのが人間に見つかると、殺されそうになってしまうのだった。あるとき、家族とはぐれてしまったレミーは、パリにある現在は落ち目のレストランにたどりつく。料理の下手な見習いシェフ・リングイニ(声:ルー・ロマノ)が味をめちゃくちゃにしたスープを、レミーは美味しく整えた。そのスープが評判を呼び、レストランは注目を集めだす。こっそりとコンビを組んだレミーとリングイニは、次々と美味しい料理をつくり続けるが……。
夢のあるお話。人間と動物が協力しあって、ひとつのことをやり遂げるという、爽やかな感動の物語。ディズニー&ピクサーの作品なので、当然ながらアニメーション映像は文句なしに素晴らしい。出てくる料理も綺麗で、美味しそうだったなぁ。
ただ、映像が最高すぎるために、私はどうしても、ある点が気になってしまった。「ねずみがリアル」なのである。
主人公のレミー以外にも、ねずみはたくさん登場する。シーンによっては、おびただしい数のねずみがレストランの厨房で「作業」をするのだ。たとえばミッキーマウスのように擬人化されたねずみのアニメーションだったり、ねずみキャラでも思いきりデフォルメされていたりしたら、まったく気にならなかったと思うんだけど、……とても本物っぽかったんだよなぁ。レミーも彼の仲間たちも。特に、手先や尻尾が。
私は別にねずみを毛嫌いしているわけじゃないけれど(触れる)、キッチンや厨房にねずみがいるっていうのは、ちょっと容認しがたい……。極端な例えになってしまうけれど、「ペットとの入店が可」のカフェ等で、ひとさまの連れている犬と隣席になるのも、ちょっと苦手だったりする。いや、もちろんね、『レミーのおいしいレストラン』を観て、そういう衛生的な概念や生理的な感覚についてとやかく言うのはナンセンスだ、ってことはわかってるんだよ。趣旨が違うもの。この作品をお好きなかたや、レミーをかわいいと感じたかたが、実生活で「ねずみがキッチンにいても平気」だなんて思ってらっしゃるわけじゃない、ってことも重々わかっているんだよ。
ただ、私にとっては、衛生面に関する概念をどうしても横に置けないくらい、「ねずみたちが本物そっくりすぎた」のだ。あのピクサーの映像だから、ねずみの尻尾の先の先っぽまで、そりゃあ緻密に動くんだもん……。
と……、ここまで書いていて、ふと頭に浮かんだのだけど、「リアルなどぶねずみがつくった料理を、人間に食べさせる」というこの設定、製作側の勇気ある挑戦だったのだろうか、もしかしたら。
ディズニー&ピクサーだったら、やろうと思えば、愛らしくデフォルメされたねずみのキャラクター(ゴキブリでさえ)なんて、いくらでもつくれるだろう。でも、そこを敢えて、「リアルなねずみ」で通した。レミーと仲間たちは、下水の中を駆けまわったり、残飯を手づかみで食べたりする。そういうキャラクターを、「わざとヒーローにして、わざとシェフにした」わけだ。「ねずみがつくる料理なんて、気持ち悪い! おぞましくて食べられない!」という観客の反応は、製作側だって予想がついていたに決まっている。それでもなお、「リアルなねずみに料理をさせる映画」を世に出したのは……、製作側の強靭な信念からなる、果敢なチャレンジだったという可能性はあるだろうか。
劇中、随所で謳われていた言葉は、「誰でも名シェフ」。この物語はお伽話である。しかし、「たとえどぶねずみであろうとも、料理を愛する心さえあればシェフになれる」というテーマに説得力を与えるためには、デフォルメされたねずみよりも、リアルなねずみのほうが効果的でメッセージ性が強い、……ということだったのかもしれない。
観た日:2007年8月25日(金)@新宿バルト9
↓参考↓
レミーのおいしいレストラン@映画生活
「レミーのおいしいレストラン(字幕版)」の映画詳細、映画館情報はこちら >>
↓観た作品&関連商品↓

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最近つくってないなぁ、ラタトゥイユ。そろそろ夏野菜の時季が終わっちゃうってのに。冷蔵庫で適度に冷やしたラタトゥイユが、私は好き。
『レミーのおいしいレストラン』
"RATATOUILLE"
2007年・アメリカ・120分
監督・原案・脚本:ブラッド・バード
製作:ブラッド・ルイス
製作総指揮:ジョン・ラセター アンドリュー・スタントン
撮影:シャロン・カラハン
音楽:マイケル・ジアッキノ
声の出演:パットン・オズワルト ルー・ロマノ
ジャニーン・ガロファロー ピーター・オトゥール
ブラッド・ギャレット ブライアン・デネヒー 他
どぶねずみのレミー(声:パットン・オズワルト)は、抜群の嗅覚と味覚を持っている。人間がする「料理」という行いに興味があってたまらないのだが、彼はねずみだから、キッチンにいるのが人間に見つかると、殺されそうになってしまうのだった。あるとき、家族とはぐれてしまったレミーは、パリにある現在は落ち目のレストランにたどりつく。料理の下手な見習いシェフ・リングイニ(声:ルー・ロマノ)が味をめちゃくちゃにしたスープを、レミーは美味しく整えた。そのスープが評判を呼び、レストランは注目を集めだす。こっそりとコンビを組んだレミーとリングイニは、次々と美味しい料理をつくり続けるが……。
夢のあるお話。人間と動物が協力しあって、ひとつのことをやり遂げるという、爽やかな感動の物語。ディズニー&ピクサーの作品なので、当然ながらアニメーション映像は文句なしに素晴らしい。出てくる料理も綺麗で、美味しそうだったなぁ。
ただ、映像が最高すぎるために、私はどうしても、ある点が気になってしまった。「ねずみがリアル」なのである。
主人公のレミー以外にも、ねずみはたくさん登場する。シーンによっては、おびただしい数のねずみがレストランの厨房で「作業」をするのだ。たとえばミッキーマウスのように擬人化されたねずみのアニメーションだったり、ねずみキャラでも思いきりデフォルメされていたりしたら、まったく気にならなかったと思うんだけど、……とても本物っぽかったんだよなぁ。レミーも彼の仲間たちも。特に、手先や尻尾が。
私は別にねずみを毛嫌いしているわけじゃないけれど(触れる)、キッチンや厨房にねずみがいるっていうのは、ちょっと容認しがたい……。極端な例えになってしまうけれど、「ペットとの入店が可」のカフェ等で、ひとさまの連れている犬と隣席になるのも、ちょっと苦手だったりする。いや、もちろんね、『レミーのおいしいレストラン』を観て、そういう衛生的な概念や生理的な感覚についてとやかく言うのはナンセンスだ、ってことはわかってるんだよ。趣旨が違うもの。この作品をお好きなかたや、レミーをかわいいと感じたかたが、実生活で「ねずみがキッチンにいても平気」だなんて思ってらっしゃるわけじゃない、ってことも重々わかっているんだよ。
ただ、私にとっては、衛生面に関する概念をどうしても横に置けないくらい、「ねずみたちが本物そっくりすぎた」のだ。あのピクサーの映像だから、ねずみの尻尾の先の先っぽまで、そりゃあ緻密に動くんだもん……。
と……、ここまで書いていて、ふと頭に浮かんだのだけど、「リアルなどぶねずみがつくった料理を、人間に食べさせる」というこの設定、製作側の勇気ある挑戦だったのだろうか、もしかしたら。
ディズニー&ピクサーだったら、やろうと思えば、愛らしくデフォルメされたねずみのキャラクター(ゴキブリでさえ)なんて、いくらでもつくれるだろう。でも、そこを敢えて、「リアルなねずみ」で通した。レミーと仲間たちは、下水の中を駆けまわったり、残飯を手づかみで食べたりする。そういうキャラクターを、「わざとヒーローにして、わざとシェフにした」わけだ。「ねずみがつくる料理なんて、気持ち悪い! おぞましくて食べられない!」という観客の反応は、製作側だって予想がついていたに決まっている。それでもなお、「リアルなねずみに料理をさせる映画」を世に出したのは……、製作側の強靭な信念からなる、果敢なチャレンジだったという可能性はあるだろうか。
劇中、随所で謳われていた言葉は、「誰でも名シェフ」。この物語はお伽話である。しかし、「たとえどぶねずみであろうとも、料理を愛する心さえあればシェフになれる」というテーマに説得力を与えるためには、デフォルメされたねずみよりも、リアルなねずみのほうが効果的でメッセージ性が強い、……ということだったのかもしれない。
観た日:2007年8月25日(金)@新宿バルト9
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レミーのおいしいレストラン@映画生活
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